ハットリブログ

Creative Consideration


広告代理店クリエイティブ

→外資系エージェンシー→IT企業マネジメント

→データマーケティング・カンパニーというキャリアから考察する

今と今後のクリエイティブなど



ぼくたちはみんな永遠に続く全力のラリーを楽しみたいのではないか。

一般に「アクション」「行動」とは、「ゴール」「結果」を導くために成されるべきもの、とされているかと思います。

 

特に企業活動においては「ゴールに結びつかないアクション」や「行動することが目的となった行動」は好ましくないもの。

 

と同時に、あるアクションに費やされる時間が短ければ短いほど、そしてゴールに達するまでのスピードがはやければはやいほど、鮮やかだ、優秀だ、成功だ、昇給だ、ともてはやされるのではないかとも思います。

 

で、この考え方はそのまま、仕事の効率見直しや生産性の向上、はたらき方改革や残業ダメ絶対、的な昨今の流れの根底につながっている、と。

 

もちろん私も「会議のための会議」とか大嫌いですし、「オフィスにいて仕事してるフリをすることが仕事」みたいなことは積極的に許せません。

 

ただ…

 

と書くと、いかにも私がここから「いや、クリエイティブな活動は例外で効率の枷のもとで管理するべきではない」とか「時間をかけて考えれば考えるほど良いものが生まれるのだ」とかそういう主張を繰り広げそうですが、そういう話をするつもりもありません。

(個人的にはなるべく早く仕事を終えてパジャマに着替えてお酒を飲んだり本を読んだりしたい派ですし)

 

じゃぁ何が言いたいのかというと、私がここで申し述べたいのは

その場その場で最適効率と思われる行動を選択する→即結果を出す、の繰り返しだけでいいの?それで決まりさそれが最高!な価値観だけで本当に大丈夫なの?ということ。

 

もちろん自動車を組み立てるとか、テレビを組み立てるとか、そういう領域のことならそうなのでしょうけれど、というかそのほうがいいに決まっているのでしょうけれど、私は「コミュニケーション領域」でメシを食っている人間ですので、ここではこっち側の話をします。

 

で、結論から言うと、

 

基本的に人間は、すぐにゴール(=オチ)に達して終わってしまうやりとりではなく「自分にとって心地いいコミュニケーションの応酬がずっと続く状態」を求めているのではないでしょうか

 

というのが私の意見です。

 

こちらの都合で恐縮ですが、ちょっと業務上の事情があってアニメ版「ハイキュー!!」のシーズン1全話を一晩で一気に観たのでバレーボールに例えて話をします。

 

f:id:takayukihattori:20170706103345j:plain

 

 

「会話」に代表される人と人とのコミュニケーションは、まず起点になる人が、ある対象・事象を受けて触れて考えたこと=文字通りのレシーブを上げることから始まって、そこで提起されたことを次の人がトスして、それをまた次の人がスパイクする、という流れで構成されています。で、見事スパイクが決まれば(=会話でいうと“話にオチ”がつけば)OK。

みんなでハイタッチしたり、コートに落ちた汗をモップで拭いたり、ニッポンチャチャチャって言ったり、次のサーブのときに「そーれっ!」っていうために息を整えたりする、と。

 

で、ここで考えるに「得点すること」が目的なのであればスパイクは一発で決まることが最高なのですが、じつはコートに立っている本人たちは必ずしもそれを望んではいないんじゃないのかなぁ、と思うわけです。

もちろん、全力で決める気で打ちにいっているのでしょうけれど、でもその全力を相手が拾ったら「!!!」と、しかもそれがつながったら「おお!」と、ましてやさらにすごいスパイクが返ってきたら「うおー!!!」と。それを楽しむためにバレーやってるんじゃないのかなぁ、と。バレーをする(=人と人とのコミュニケーションに参加する)ことの醍醐味ってそこにあるんじゃないのかなぁ、と。

 

ためしに、得点の全部がサービスエース(=サーブがいきなり決まること)で勝敗が決してしまう試合を想像してください。

 

得点(=ゴールの指標である総合で45点)を上げることが目的なのであれば最高に効率がよい素晴らしい試合です。でも、あなたがその試合のコートに立っているプレイヤーだとしたら、その試合って楽しいですかね?

 

もうひとつだけ例え話を。

 

飲み会でする話の究極のゴールは「じゃ、そろそろ帰ろうか」だと思うのです。

 

どんなに盛り上がっても、名残惜しくても、夜が明けてても明けてなくても、始発が動いてても動いてなくても、「じゃ、そろそろ帰ろうか」が出ればすべての話に一応そこでの結論が(「それはまたこの次に」でも「その話はここまで」でも)出る=オチがついてしまう、と。

 

で、コミュニケーションの効率だけを考えるのならば、会話のすべてに次々とオチがついていって、サクッと解散すればいい。もっといえば飲み会を開催する必要すらない。

 

そんなのすごく変だって思いますよね?(もちろんすごく極端に振って話を構成してはいますが)

 

終わるのがもったいないような気分になれる飲み会ってあるじゃないですか?

(まぁ滅多にはないんですけど、でも一つの飲み会の中で「あぁ、いま楽しいなぁこの時間が続けばいいなぁ」っていう瞬間はあったりしますよね)

あれはその場にいる全員がお互いの言葉を拾ってつないで打ち込んで

また拾ってつないで(→永久ループ)お互いの全力を引き出し合う場になっていくから「この時間がずっと続けばいい」になるんです。そういう場を共有できたらその人たちとは「また会いたいなぁ」になるんです。

 

繰り返しになりますが、もちろん全力で、決める気で打ち込むんです。でも、同時に、どんな風に返ってくるんだろう?を期待してコートに立っているんです。

 

話をバレーに、いやコミュニケーションの話に戻します。

 

コミュニケーションにおいても同じこと。私たちは、永遠に続く全力のラリーを楽しみたいと思いながら生きている。人間は元々の仕組みとして「そういうふうにできている」のだと私は思います。

 

一発・一撃でオチがつく(=コンバージョンを取る)気で打ち込むのは当然なのですが、でも、相手(=コンシューマー)の全力のレシーブを引き出して、かつそこから互いに無我夢中になれるようなラリーが生まれるようにコミュニケーション戦略を設計するほうが、結果、何年たっても忘れられないかけがえのない仲間=パートナーになれるんじゃないかと思います。

 

テクノロジー活用の方向が、効率・刈り取り・コンバージョン至上に流れているような気がして書きました。長々と失礼いたしました。

 

で、じつはここまでの流れの中で、私は意図的にひとつ大きな嘘を書いています。

 

それは、「コミュニケーションはレシーブを起点にはじまり」というくだり。

そう。正しくは、サーブ(=サービス!)からはじまるんですよね。

 

弊社、最近はコミュニケーション戦略だけでなく、サービス設計も併せてご提案差し上げております。(生産業系コンサル出身のパートナーがチームに加わりました)